良く出てくる言葉

易でよく出てくる言葉には、私たちの日常では縁のない言葉が多くあります。そこで他の古典や原文での使われ方を検討しながら、それらの言葉を定義します。

祭りの意味を持つ『享』から派生した字です。人を超えた力で事が運び、良くも悪くも状況が変わることを表す字です。私の口語訳では「事が運ぶ」と訳しております。”祭りをする”の意味で使われるときは”亨(きょう)す”とします。

「その位置にふさわしい在り方を守る」意味で 「正しい」 と訳します。

ですので「正しければ吉」は「その位置にふさわしい在り方を守れば吉」 の意味になります。

ただ、もともと貞は “占って神意を問う” という語であり、「貞(と)う」と読むのが自然です。しかし易経では古くから “ただしい” と読まれてきました。

理由は定かではありませんが、この読み替えが易を哲学書として理解する土台を作ったようにも思えます。そのため先人にならい、“正しい” としています。

孚は「信じること」「信じられること」「心にウソがないこと」「真実」といった意味で使われています。

それらをまとめて「ウソなく信じていることが、外にもそのまま通じる状態」という語として扱います。

恒卦に「其の徳恒にせず。」「其の徳恒にす。」とあります。徳はほったらかしでは力にならないもの。その人に備わる力とします。

俗に言えば、生きる上で役に立つ力 としてもよいでしょう。

『中庸』に「喜怒哀樂の未だ發せざる、之れを中と謂う」とあります。

したがって「中」とは、「感情に支配されていない心の状態」と考えてよいでしょう。中であることで物事を偏りなく見ることができると考えられています。

命令や指令の意味もありますが、天命の意もあります。

こちらも『中庸』の冒頭に「天命之れ性を謂う」とあります。性とはその人の境遇・性格・持ち前です。「その人が持って生まれた立場や性格」が天命として良いでしょう。生きる中で立場や能力は変わりますから、天命もまた変わります。

許容・可能を意味します。”行っても差し支えない”の意味の字です。口語訳ではできると訳しています。

「可」よりも強く、”行うとよい方向に向かう”意味の字です。口語訳では良いと訳しています。

君子と小人

小人は、起こったことに一喜一憂する”ふつうの人”という理解で良いでしょう。

君子も”ふつうの人”ではありますが、先人の教えを行おうとする人。易を読む場合には”易の助言を実践しようとする人”という理解で良いかと思います。易ではこの対比が良く用いられます。

大人

君子よりも尊い存在です。易を読む上では”易の助言を実践できる人”というところでしょう。

吉と凶

吉は良い、凶は悪い状況を示します。

ただし、決まった結果ではなく”そうなる傾向にある”と読みます。

吝や咎も同じ捉え方です。

もの惜しみする・貪る・恥といった意味を持つ文字です。

良くない方向に向かっていることを表します。ですが、まだ凶や吝ではなく、引き返すことが可能です。うまく引き返せた場合を『悔亡ぶ』と言います。

責めを受ける。非難される誤りがあることを意味します。